松井海斗(東洋大)の中学・高校時代と怪我の真相は?大学での復活も紹介

陸上

東洋大学の長距離ランナーとして注目を集める松井海斗選手。

埼玉栄高校時代に全国高校駅伝で区間賞を獲得するなど輝かしい実績を残していますが、中学時代には貧血に苦しみ、大学入学後には首のヘルニアで手術を受けるという大きな試練も経験しています。

松井海斗選手の中学や高校はどこなのか、どのような怪我を経験したのか、そして現在はどこまで復活しているのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。

そこで当記事では、松井海斗選手の中学・高校時代の経歴や怪我の経緯、東洋大学での復活までを詳しく紹介します。

・松井海斗の出身中学と陸上を始めたきっかけ
・埼玉栄高校時代の実績と貧血を克服した取り組み
・首のヘルニアの発症から手術、復帰までの経緯
・東洋大学での復活と箱根駅伝での活躍

松井海斗の中学時代は?毛呂山中学校で陸上を始めた経緯

松井海斗選手の出身中学は、埼玉県の毛呂山町立毛呂山中学校です。

ここでは、毛呂山中学校で陸上を始めたきっかけや、貧血による苦しい時期について紹介します。

出身中学は毛呂山町立毛呂山中学校

松井海斗選手の出身中学は、埼玉県入間郡毛呂山町にある毛呂山町立毛呂山中学校です。

松井海斗選手は中学1年生の頃に陸上競技を始めました。

競技を始めた背景には、「何かの競技で1位になりたい」という思いがあったとされています。

陸上競技は、自分の記録や順位が数字ではっきり表れるスポーツです。

練習を重ねることでタイムを縮め、ライバルとの競争を通じて成長できる点も魅力の一つです。

松井海斗選手も、そうした競技の世界に身を置きながら、長距離ランナーとしての道を歩み始めました。

中学時代に貧血で約1年間走れなかった

松井海斗選手は中学3年生の頃、深刻な貧血に悩まされ、約1年間にわたって満足に走れない時期を経験したとされています。

日常生活でも階段を上ることがつらいほど体調が悪化し、陸上競技を続けるうえで大きな壁に直面しました。

長距離走では、練習を継続して体力や持久力を高めることが重要です。

しかし、貧血などの体調不良があると、思うように練習できず、競技力を伸ばすことも難しくなります。

松井海斗選手にとっても、走りたい気持ちがあっても体がついてこない状況は、苦しい経験だったと考えられます。

当時は貧血の原因がすぐに明らかにならず、競技に打ち込めない期間が続いたとされています。

挫折を乗り越えて陸上を続けた理由

中学時代に貧血で思うように走れなかった松井海斗選手ですが、その後も陸上競技を続け、埼玉栄高校へ進学しました。

約1年間のブランクを経験しながらも競技を諦めず、再び走る道を選んだことは、松井海斗選手のキャリアを語るうえで重要なポイントです。

高校進学後は、練習だけでなく食事や休養にも目を向けながら、競技力を高めていきました。

体調面の課題を経験したからこそ、走るための体づくりや日々のコンディション管理が重要だと実感する機会にもなったと考えられます。

松井さんは高校時代、全国高校駅伝などの大舞台で結果を残す選手へと成長します。

中学時代に十分に走れなかった経験と比べると、その後の活躍は大きな変化といえるでしょう。

もちろん、成長の理由を一つに限定することはできませんが、苦しい時期を経て競技を続けた姿勢は印象的です。

松井海斗の高校時代は?埼玉栄で開花した才能

松井海斗選手は埼玉栄高校に進学し、全国高校駅伝やインターハイで実績を重ねました。

貧血に悩んだ経験を踏まえ、食事や休養を見直しながら競技に取り組んだことも大きなポイントです。

中学時代に走れない時期を経験した松井海斗選手が、全国の強豪選手と競い合うランナーへと成長した過程を見ていきましょう。

埼玉栄高校で取り組んだ食事改善と体質管理

松井海斗選手が高校時代に成長するうえで重要だったのが、食事と休養の見直しです。

中学時代から貧血に悩んでいた松井さんは、高校2年生の頃に神山洋一監督へ相談し、体質改善に取り組むようになったとされています。

練習量を増やすだけでなく、体を支える生活習慣にも目を向けたことが特徴です。

具体的には、レバーなどを食事に取り入れ、ご飯をしっかり食べてエネルギーを補給する方法が実践されました。

食事の量や内容を意識することは、日々の練習を継続するための基礎になります。

また、疲労がたまっている時期には朝練習を免除し、睡眠を優先する指導も行われたとされています。

長距離選手は練習を積み重ねることが大切ですが、休養を十分に取ることも欠かせません。

松井海斗選手は、練習と回復のバランスを考えながら体づくりを進めていきました。

全国高校駅伝で区間賞や区間2位を獲得

松井海斗選手は埼玉栄高校で力を伸ばし、全国高校駅伝で目立った成績を残しました。

高校2年生だった2022年には、全国高校駅伝の5区で8分39秒を記録し、区間賞を獲得しています。

チームの4位入賞にも貢献し、全国の舞台で実力を示しました。

さらに高校3年生の2023年には、全国高校駅伝の1区を担当しました。

10キロの主要区間で28分54秒を記録し、区間2位で走り切っています。

区間トップの折田壮太選手とは6秒差で、強豪選手同士の競り合いのなかで存在感を示しました。

駅伝では、個人の走力に加えて、チームの流れをつくる力も求められます。

特に1区は各校の有力選手が集まりやすく、後続の順位にも影響する重要な区間です。

松井海斗選手が高校3年生で区間2位に入ったことは、全国レベルの選手として評価される実績の一つです。

高校時代の松井海斗選手は、5区の区間賞と1区の区間2位という結果を残しました。

中学時代の貧血による苦労を経て、全国高校駅伝で上位を争う選手へ成長した点も注目されています。

高校で培った経験は、東洋大学進学後の競技生活にもつながっていきました。

折田壮太らライバルとの競争が成長の糧に

松井海斗選手の高校時代を語るうえで欠かせないのが、折田壮太選手ら同世代のライバルの存在です。

2023年の全国高校駅伝では、松井さんが1区で区間2位、折田選手が区間賞という結果になりました。

わずかなタイム差で競り合った経験は、全国トップクラスの選手との差を実感する機会にもなったはずです。

松井海斗選手は高校時代の取材で、ライバルの存在が練習への意欲につながったという趣旨の話をしています。

勝ち続けることだけが成長につながるわけではなく、悔しい経験を次の努力に変えることも大切です。

相手の活躍を刺激にしながら、自分の課題と向き合ってきました。

松井海斗選手は、負けた悔しさを次の練習への力に変える姿勢を大切にしていたとされています。

ライバルとの競争は、記録を伸ばすだけでなく、競技に向き合う気持ちを磨く経験にもなったのでしょう。

松井解説選手にとってライバルは、目標であると同時に、自分を成長させる存在だったと考えられます。

高校卒業後は東洋大学へ進学し、大学駅伝の舞台で再び同世代の選手たちと競い合うことになります。

松井海斗の怪我は首のヘルニア?手術までの経緯

松井海斗選手が大学時代に経験した大きな試練は、首のヘルニアです。

2024年夏、U20世界選手権から帰国する飛行機内で首に強い痛みを感じ、検査の結果、頸椎椎間板ヘルニアと診断されています。

U20世界選手権からの帰国便で首に激痛

松井海斗選手は大学1年生だった2024年8月、ペルーのリマで開催されたU20世界選手権に出場しました。

国際大会を経験した直後、帰国する飛行機のなかで首に強い痛みを感じたとされています。

世界の選手と競い合った直後に、思いがけない体の異変に見舞われました。

帰国後に病院で検査を受けた結果、頸椎椎間板ヘルニアと診断されました。

首のヘルニアは、首の骨の間にある椎間板などが神経を圧迫し、痛みやしびれなどの症状につながることがある疾患です。

松井海斗選手の場合も、競技を続けるうえで慎重な対応が必要になりました。

長距離ランナーにとって、継続的に練習できないことは競技力の維持に大きく影響します。

大学1年目から駅伝での活躍を目指していた松井海斗選手にとって、練習を中断せざるを得なくなったことは、精神的にもつらい出来事だったと考えられます。

2024年10月に内視鏡手術を受けて駅伝を欠場

松井海斗選手は首のヘルニアと診断された後、練習を中断し、2024年10月に内視鏡手術を受けたとされています。

大学1年目は東洋大学の駅伝メンバーとして活躍が期待されていましたが、治療を優先することになり、出雲駅伝と全日本大学駅伝を欠場しました。

さらに、年明けの箱根駅伝でも出走することはできませんでした。

松井海斗選手自身も大学1年目から駅伝で名前を残したいという思いを持っていたため、出場できなかった悔しさは大きかったと考えられます。

2024年12月の取材では、夏の状態と比べて回復は6〜7割程度という趣旨の説明をしており、走り始めても体が思うようについてこない時期があったと語っています。

復帰に向けては、状態を見ながら段階的に練習を進める必要がありました。

手術を受けたことだけでなく、駅伝を欠場しながら回復に取り組んだ期間も、松井さんの競技人生における大きな節目です。

治療後の経過や復帰時期には個人差がありますが、松井海斗選手は焦らず調整を続け、翌春の大会で結果を残すまでに状態を上げていきました。

箱根駅伝を走れなかった悔しさと復帰への思い

松井海斗選手にとって、大学1年目の箱根駅伝を走れなかったことは、大きな悔しさの残る出来事でした。

故障前には三大駅伝への出場を目標に練習を重ねていましたが、首のヘルニアによって計画を変更せざるを得なくなりました。

それでも、練習への復帰を進めながらコンディションを整え、2025年春には日本学生個人選手権の5000mで優勝するまでに回復しました。

復帰後の結果は、競技力を取り戻してきたことを示す大きな節目となりました。

箱根駅伝を走れなかった悔しさを、チームへの恩返しという目標につなげたことも、松井海斗選手の復帰を語るうえで重要です。

怪我を乗り越えた後は、個人種目だけでなく駅伝でも存在感を発揮するようになり、東洋大学の中心選手として期待されるようになりました。

松井海斗は東洋大学で復活!現在の状態と自己ベスト

松井海斗選手は首のヘルニア手術を乗り越え、2025年春の日本学生個人選手権5000mで大会新記録を樹立して優勝しました。

大学1年目に駅伝を欠場した悔しさを味わいましたが、翌春には競技力を取り戻し、大学長距離界で再び注目される存在となりました。

その後も5000mや10000m、ハーフマラソンで記録を伸ばし、2026年の箱根駅伝では1区を走っています。

日本学生個人選手権5000mで大会新記録を樹立

松井海斗選手は2025年4月27日の日本学生陸上競技個人選手権5000mで、13分44秒59を記録して優勝しました。

このタイムは大会新記録で、首のヘルニア手術から復帰した後の大きな成果となりました。

大学1年目に故障で苦しんだ松井さんにとって、結果で復活を示す重要なレースでした。

松井海斗選手はレース後、勝ち切ることができた喜びを語る一方、目標としていた13分40秒には届かなかったことにも触れています。

高校時代は全国規模の大会で2位や3位になることが多かったため、優勝できたことへの思いも強かったようです。

この大会では、終盤に仕掛ける予定だったところを先に動かされ、さらに残り200mでもう一度ペースを上げる展開になったとされています。

苦しい局面でも勝ち切ることを意識して走り抜いたことが、優勝につながりました。

5000m・10000m・ハーフマラソンの自己ベスト

松井海斗選手はトラック種目だけでなく、ハーフマラソンでも高い記録を残しています。

5000mでは2025年4月の日本学生個人選手権で13分44秒59、10000mでは同年5月の全日本大学駅伝関東地区選考会で28分29秒08を記録しました。

いずれも大学長距離界で注目される実績です。

さらに、2025年11月16日の上尾シティハーフマラソンでは、1時間01分44秒を記録しました。

ハーフマラソンは約21.1kmを走る種目で、スピードだけでなく持久力やペース配分も重要になります。

トラックとロードの両方で結果を残している点は、松井さんの強みといえるでしょう。

主な自己ベストは次のとおりです。記録は大会での成績として紹介されている数値で、今後のレースによって更新される可能性があります。

・1500m:3分50秒97(2022年)
・5000m:13分44秒59(2025年)
・10000m:28分29秒08(2025年)
・ハーフマラソン:1時間01分44秒(2025年)

松井海斗選手は短めのトラック種目からハーフマラソンまで、幅広い距離で力を示しています。

酒井俊幸監督が評価するエースとしての存在感

東洋大学の酒井俊幸監督は、松井海斗選手について、能力の高さに加えて、チームに安心感をもたらす存在だという趣旨の評価をしています。

故障から復帰した後、急ピッチで練習に合流した松井海斗選手が加わることで、下級生にも良い影響が生まれていると語っています。

長距離チームでは、個人の記録だけでなく、練習への取り組みやチーム全体に与える影響も大切です。

実績のある選手が練習に戻り、仲間と競い合うことで、チーム内の緊張感や目標意識が高まることがあります。

松井海斗選手は、走力と存在感の両面でチームに貢献する選手として期待されています。

また、松井さん自身も、大学1年目に駅伝へ出場できなかった悔しさを振り返り、チームに恩返ししたいという思いを示しています。

個人種目で結果を残すだけでなく、駅伝でチームの順位を押し上げることも大きな目標の一つです。

松井海斗の箱根駅伝での成績は?今後の活躍にも注目

松井海斗選手は2026年1月2日に行われた第102回箱根駅伝で、1区を担当しました。

今後は箱根駅伝をはじめとする大学三大駅伝で、どのような役割を担っていくのでしょうか。

現在の実績と今後の注目ポイントを整理します。

第102回箱根駅伝で1区区間3位の好走

松井海斗選手は第102回箱根駅伝で、東洋大学の1区を走りました。

記録は1時間00分43秒で、区間順位は3位です。

箱根駅伝は大学長距離ランナーにとって大きな舞台であり、松井海斗選手にとっては、大学入学後の故障を乗り越えて迎えた箱根路デビューとなりました。

レースでは、13km過ぎに集団から前へ出てレースを引っ張る積極的な走りを見せたとされています。

1区は各大学の有力選手が集まりやすく、序盤からの位置取りやペース判断が重要です。

松井海斗選手は先頭争いに加わりながら、区間3位で次の走者へ襷をつなぎました。

大学1年目は首のヘルニアの影響で箱根駅伝を走れなかったため、出走そのものにも大きな意味がありました。

故障後の復帰を経て、実際の箱根路で力を発揮したことは、松井海斗選手が競技を続けてきた成果の一つです。

東洋大学を支える存在として期待される理由

松井海斗選手が東洋大学で期待されている理由は、トラックとロードの両方で結果を残していることにあります。

5000mで大会新記録を樹立し、10000mやハーフマラソンでも好記録を残したうえ、箱根駅伝では1区区間3位という成績を挙げました。

幅広い距離への対応力は、駅伝チームにとって大きな強みです。

また、松井海斗選手は高校時代から全国の強豪選手と競い合い、大学では首のヘルニアという試練も経験しました。

故障によって思うように走れない時期を経て、再び大会で結果を残した経験は、競技に向き合う姿勢にもつながっていると考えられます。

大学駅伝では、エース級の選手が安定して走ることがチーム全体の成績に影響します。

ただし、駅伝は一人の力だけで勝てる競技ではありません。各区間の選手が役割を果たし、襷をつないでいくことが重要です。

松井海斗選手にも、自身の走りでチームを勢いづける役割が期待されています。

まとめ|松井海斗は中学・高校時代の挫折と怪我を乗り越えた

当記事では、松井海斗選手の中学・高校時代の経歴や怪我、東洋大学での復活について紹介しました。

松井海斗選手の出身中学は毛呂山町立毛呂山中学校で、中学時代には貧血によって約1年間満足に走れない時期を経験したとされています。

その後、埼玉栄高校へ進学し、食事や休養を見直しながら競技力を高め、全国高校駅伝では5区の区間賞や1区の区間2位という実績を残しました。

大学1年時には首の頸椎椎間板ヘルニアと診断され、2024年10月に内視鏡手術を受けました。

出雲駅伝や全日本大学駅伝、箱根駅伝を欠場する悔しさを味わいましたが、2025年4月には日本学生個人選手権5000mで大会新記録を樹立して優勝しています。

さらに、2026年の第102回箱根駅伝では1区区間3位と好走し、復帰後の成長を示しました。

松井海斗選手は、中学時代の貧血や大学時代のヘルニアという困難を経て、東洋大学の有力選手として活躍を続けています。

今後の駅伝や記録更新にも注目しながら、松井さんの挑戦を応援していきましょう。

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