村上響(駒澤大)の中学・高校はどこ?世羅高校時代の駅伝実績と活躍を紹介!

陸上

駒澤大学陸上競技部で主将を務める村上響選手。

村上響選手について、「出身中学校や高校はどこ?」「世羅高校時代はどのような成績を残したの?」「小学校や身長も知りたい!」と気になっている方も多いのではないでしょうか。

そこで当記事では、村上響選手の中学・高校を中心に、陸上を始めたきっかけや全国高校駅伝での活躍、駒澤大学での実績まで詳しく紹介します。

村上響選手のこれまでの歩みを知りたい方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

・村上響のプロフィールと出身中学校・高校
・中学時代に陸上競技を始めてからの成長
・世羅高校時代の全国高校駅伝での活躍
・駒澤大学での実績や現在の活動

村上響の中学・高校は鷹取中学校と世羅高校

村上響選手の出身中学校は、広島県福山市にある福山市立鷹取中学校です。

高校は、駅伝の強豪校として知られる広島県立世羅高校に進学しました。

中学時代から長距離走の力を伸ばし、世羅高校では全国高校駅伝の優勝に貢献しています。

村上響のプロフィールと学歴一覧

村上響選手は、2004年4月18日生まれで、広島県福山市の出身です。

中学時代から陸上競技に取り組み、高校では全国大会で活躍しています。

大学は駒澤大学文学部地理学科に進学し、大学駅伝でも実績を積み重ねてきました。

村上響選手の学歴や競技に関する基本情報を、以下にまとめました。

・出身地:広島県福山市
・出身中学校:福山市立鷹取中学校
・出身高校:広島県立世羅高校
・大学:駒澤大学文学部地理学科
・生年月日:2004年4月18日
・競技:陸上競技・長距離走

村上響選手は、世羅高校時代に全国高校駅伝で区間賞を獲得するなど、早くから長距離ランナーとして注目されてきました。

大学進学後も箱根駅伝や全日本大学駅伝に出場し、チームの主力選手として経験を重ねています。

出身中学校は福山市立鷹取中学校

村上響選手の出身中学校は、広島県福山市にある福山市立鷹取中学校です。

村上響選手は中学時代に陸上部へ入部し、競技経験を積みながら、短距離走から長距離走へと活動の軸を移していきました。

陸上を始めたきっかけは、友人に誘われたことだったとされています。

最初から長距離走を専門にしていたわけではなく、陸上部での経験を通じて、自分の力を発揮できる種目を見つけていったようです。

中学3年生になると、3000mで8分57秒43を記録。広島県の大会でも3位に入るなど、長距離ランナーとして着実に力を伸ばしました。

中学生の段階で県大会の上位に入る結果を残したことは、その後の高校駅伝での活躍につながる経験だったといえるでしょう。

出身高校は広島県立世羅高校

村上響選手の出身高校は、広島県立世羅高校です。

世羅高校は全国高校駅伝で優勝経験を持つ駅伝の強豪校として知られ、全国を目指す選手たちが集まる環境で競技力を磨いています。

村上響選手も高校時代に大きく成長しました。

特に注目されたのが、高校2年生で出場した全国高校駅伝です。

チームの主将が太ももの負傷で出場できなくなったことを受け、村上響選手は急きょ7区のアンカーを任されました。

大きな役割を担いながら区間賞を獲得し、世羅高校の全国優勝に貢献しています。

高校3年生の時には、広島県高校総体の5000mで14分34秒38を記録して優勝しています。

駅伝だけでなく、トラック競技でも実力を示しました。また、3年生で出場した全国高校駅伝では1区を担当し、全国の強豪選手たちと競い合っています。

全国レベルのレースで結果を残したことに加え、先輩とのつながりも駒澤大学への進学を考えるきっかけになりました。

高校時代に培った経験が、大学駅伝での活躍の土台になっています。

村上響は世羅高校で全国高校駅伝の区間賞を獲得

村上響選手は、世羅高校時代に全国高校駅伝で区間賞を獲得し、チームの全国優勝に貢献しました。

高校2年生で急きょアンカーを任されながら結果を残した経験は、村上響選手の競技人生を語るうえで欠かせません。

高校2年生で急きょアンカーを任され全国優勝

村上響選手が全国高校駅伝で大きな注目を集めたのは、世羅高校の2年生だった2021年です。

大会直前にチームの主将・塩出翔太選手が右太ももを負傷し、出場が難しくなったことで、村上響選手が急きょ7区のアンカーを任されました。

アンカーはチームの最終走者として、仲間がつないできたたすきを受け取り、ゴールまで運ぶ重要な役割です。

全国大会の大舞台で突然大役を任されるのは、選手にとって大きなプレッシャーがかかる状況だったと考えられます。

しかし、村上響選手は5kmの区間を14分22秒で走り、区間賞を獲得しました。

世羅高校はこの大会で優勝し、全国高校駅伝の連覇を達成。村上響選手は、チームの勝利を締めくくる走りで実力を示しました。

高校2年生で全国大会のアンカーを務め、区間賞という結果を残した経験は、村上響選手にとって大きな実績です。

世羅高校の優勝に貢献したこの走りは、長距離ランナーとしての存在感を高めるきっかけになりました。

高校3年生は広島県高校総体5000mで優勝

村上響選手は高校2年生の全国高校駅伝で活躍した後も、着実に競技力を伸ばしました。

高校3年生の時には、広島県高校総体の5000mで14分34秒38を記録し、優勝しています。

駅伝だけでなく、トラック競技でも結果を残した点が特徴です。

5000mは、一定のペースを保ちながら長い距離を走り続ける持久力と、終盤までスピードを維持する力が求められる種目です。

高校時代に好記録を残したことからも、村上響選手が長距離ランナーとして成長していたことがうかがえます。

一方、2022年の全国高校駅伝では1区を担当しました。

前年度のアンカーとは異なる区間を走り、全国の強豪校の選手たちと競い合っています。大会で担当する区間が変わることは、チーム内で求められる役割の違いを経験する機会にもなります。

世羅高校での3年間は、村上響選手がトラック競技と駅伝の両方で経験を積んだ時期でした。

全国大会での優勝経験や県大会での結果を重ねたことが、駒澤大学へ進学し、大学駅伝に挑戦するための基盤になったといえるでしょう。

世羅高校の先輩・吉本真啓が駒澤大学進学のきっかけ

村上響選手が駒澤大学への進学を考えるうえで、世羅高校の先輩である吉本真啓選手とのつながりが大きなきっかけになりました。

高校時代に同じ世羅高校で競技に取り組んだ先輩の存在は、大学進学後の競技生活をイメージするうえでも参考になったと考えられます。

村上響選手は、2021年の全国高校駅伝で世羅高校が優勝した夜に、吉本真啓選手から電話を受けたとされています。

この出来事が、駒澤大学への進学を決めるうえで印象に残るエピソードになりました。

大学進学では、競技力を伸ばせる環境だけでなく、先輩や指導者との関係、チームの雰囲気なども重要な判断材料になります。

高校時代のつながりを通じて駒澤大学を身近に感じられたことは、村上響選手の進路選択に影響したようです。

村上響は駒澤大学で主将に就任!箱根駅伝のブレーキと怪我

駒澤大学に進学した村上響選手は、大学駅伝で経験を重ね、2026年度には陸上競技部の主将を務める立場になりました。

一方、第102回箱根駅伝では右足首とかかとの痛みに苦しみ、4区で本来の走りを発揮できませんでした。

大学での主な実績や負傷からの復帰、最後の箱根駅伝に向けた目標を見ていきましょう。

全日本大学駅伝や箱根駅伝で活躍

村上響選手は駒澤大学進学後、大学駅伝の主要大会で経験を積んできました。

2024年の全日本大学駅伝では5区を担当して区間5位、2025年の箱根駅伝では9区を走って区間5位に入るなど、チームの一員として結果を残しています。

さらに、2025年の全日本大学駅伝では6区を担当し、区間2位の走りを見せました。

駒澤大学は大会で優勝しており、村上響選手もチームの勝利に貢献しています。

大学駅伝で複数の区間を経験してきたことは、選手としての幅を広げる機会になったでしょう。

個人記録では、5000mで14分00秒88、10000mで29分13秒89、ハーフマラソンで1時間1分46秒を記録しています。

距離の異なる種目で実績を積んでいる点からも、トラック競技とロードレースの両方に取り組んできたことがわかります。

大学駅伝では、走力だけでなく、チーム状況に応じた役割を果たすことも求められます。

村上響選手は全国大会で経験を重ね、2026年度には主将に就任しました。

これまでの競技実績を生かし、チームをまとめる立場としても期待されています。

第102回箱根駅伝4区で失速した原因

2026年1月に開催された第102回箱根駅伝で、村上響選手は4区を担当しました。

しかし、レースの途中から右足首とかかとに強い痛みが出て、思うようにペースを上げられなくなりました。

順調な走りを続けることが難しくなり、区間19位の1時間3分24秒でたすきをつないでいます。

痛みが出たのは、およそ10kmを過ぎたあたりとされています。

その後はペースが落ち、1kmあたり3分10秒ほどまで速度が低下しました。

駅伝では一人の走りがチーム全体の順位にも影響するため、村上響選手にとっても苦しいレースだったと考えられます。

村上響選手は2025年3月のニューヨークシティハーフマラソンでも、負傷の影響で途中棄権した経験がありました。

箱根駅伝での失速は、本人にとっても悔しい結果だったでしょう。

今後の競技生活では、走力の向上だけでなく、コンディション管理や再発防止も重要になります。

右足首とかかとの痛みと復帰までの経過

第102回箱根駅伝で右足首とかかとの痛みに苦しんだ村上響選手は、その後、コンディションを整えながら練習への復帰を目指しました。

負傷からの回復では、痛みの状態を確認しつつ、身体への負担を調整して練習量を戻していくことが大切です。

村上響選手は2026年3月上旬ごろからジョギングを再開し、同月下旬には練習量を増やしていったとされています。

長距離選手にとって、レースで結果を出すためには継続的な走り込みが欠かせませんが、負傷後は焦らず段階的に負荷を高めることが求められます。

復帰レースとなったのは、2026年5月31日に行われた日本体育大学の競技会です。

村上響選手は5000mに出場し、14分06秒60で6位に入りました。

自己ベストには届かなかったものの、実戦に戻ってきたことは、今後の競技活動に向けた一歩となりました。

村上響選手が大学最後のシーズンでどのような走りを見せるのか、今後の大会にも注目が集まります。

2026年度の主将に選ばれた理由と今後の目標

村上響選手は2026年度、駒澤大学陸上競技部の主将に就任しました。

主将は競技力だけでなく、チームメートとの信頼関係や、チームをまとめる姿勢も求められる役割です。

村上響選手は仲間たちの総意によって主将に選ばれたとされ、周囲からの信頼も大切な要素だったと考えられます。

主将として迎えるシーズンは、村上響選手にとって大学生活の集大成となる時期です。

箱根駅伝や全日本大学駅伝などの大会で結果を目指すとともに、チーム全体が目標に向かって進めるよう、競技面と精神面の両方で支えることが期待されます。

また、村上響選手は最後の箱根駅伝に向けて、区間賞の獲得とチームへの貢献を目標に掲げています。

前回大会では負傷によって悔しい結果となっただけに、万全の状態で走り切り、これまで積み重ねてきた力を発揮できるかが注目点です。

村上響の中学・高校時代から現在までの経歴まとめ

村上響選手は、福山市立鷹取中学校で陸上競技を始め、短距離走から長距離走へと取り組む種目を変えながら力を伸ばしました。

中学3年生では3000mで8分57秒43を記録し、県大会でも結果を残しています。

世羅高校に進学すると、全国高校駅伝でアンカーを務めて区間賞を獲得し、チームの優勝に貢献しました。

高校3年生では広島県高校総体の5000mでも優勝し、駅伝とトラック競技の両方で実績を積み重ねています。

駒澤大学では箱根駅伝や全日本大学駅伝に出場し、2026年度には主将に就任しました。

第102回箱根駅伝では右足首とかかとの痛みに苦しみましたが、その後は練習を再開し、2026年5月には5000mのレースに復帰しています。

当記事では、村上響選手の中学・高校について、世羅高校時代の駅伝実績や駒澤大学での活躍とあわせて紹介しました。

大学最後のシーズンで村上響選手がどのような走りを見せるのか、今後も注目していきましょう。

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