牟田颯太選手は、双子の弟である牟田凜太選手とともに、中学・高校時代から駅伝やトラック競技で活躍してきた注目のランナーです。
そんな牟田颯太選手について、「双子の弟はどんな選手?」「中学や高校はどこ?」「駒澤大学ではどのような成績を残しているの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
牟田颯太選手と凜太選手は、同じ学校で競技に取り組みながら、互いの挫折を支え合って成長してきた兄弟です。
そこで当記事では、牟田颯太選手の双子の弟との関係をはじめ、中学・高校時代の実績や駒澤大学での活躍について紹介します。
・出身中学と中学駅伝での活躍
・鎮西学院高校時代の実績と挫折からの復活
・駒澤大学での成績と箱根駅伝への期待
牟田颯太は双子!弟の凜太との関係や見分け方は?
牟田颯太選手には、双子の弟である牟田凜太選手がいます。
2人は2006年7月4日生まれの二卵性双生児で、長崎県諫早市の出身です。
中学・高校時代は同じ学校で陸上競技に取り組み、2025年春にはそろって駒澤大学へ進学しました。
牟田颯太と凜太は2006年生まれの二卵性双生児
牟田颯太選手と牟田凜太選手は、2006年7月4日生まれの双子です。
兄が颯太選手、弟が凜太選手で、長崎県諫早市で育ちました。
2人は諫早市立森山中学校、鎮西学院高校を経て、駒澤大学へ進学するという共通の道を歩んでいます。
兄弟が本格的に陸上競技へ取り組むようになったのは、小学3年生ごろです。
学校の持久走大会で優勝したことなどをきっかけに走ることに親しみ、陸上競技の練習を重ねていきました。
また、陸上だけでなく少林寺拳法にも取り組み、中学1年生のときには2人そろって黒帯を取得したとされています。
高校時代には、颯太選手が大きな挫折を経験した際に凜太選手が支え、反対に凜太選手が不調に苦しんだ時期には颯太選手の活躍が励みになりました。
互いを理解し、支え合いながら成長してきた点も、2人が注目される理由の一つです。
牟田兄弟の顔や走り方には違いがある
牟田兄弟を見分けるポイントは、顔立ちだけでなく、走るフォームや得意とする競技にもあります。
双子ということもあり、2人をよく知らない方は、レース中にどちらが颯太選手で、どちらが凜太選手なのか迷うかもしれません。
駒澤大学の藤田敦史監督も、2人の走り方には違いがあると説明しています。
凜太選手は前傾姿勢で走るスピード型、颯太選手は比較的上体を起こしたフォームで、長い距離やタフなコースに適したタイプと評価されています。
見分ける際は、凜太選手の前傾姿勢とスピード、颯太選手の安定したフォームとスタミナに注目すると分かりやすいでしょう。
颯太選手は高校時代から3000m障害を専門種目の一つとして取り組み、障害を越えながら走る過酷なレースでも結果を残してきました。
一方、凜太選手は5000mや10000mで力を発揮しています。
このように、2人は同じ環境で練習してきた双子でありながら、得意分野には違いがあります。
兄弟それぞれの持ち味を知っておくと、大学駅伝やトラック競技のレースを見る際にも、より楽しめるのではないでしょうか。
牟田颯太の中学は諫早市立森山中学校!
牟田颯太選手の出身中学は、長崎県諫早市にある諫早市立森山中学校です。
中学時代から弟の凜太選手とともに陸上競技に励み、県内の中学駅伝で優れた成績を残しました。
全国中学校駅伝にも出場し、兄弟そろってチームを引っ張る存在として活躍しています。
中学駅伝で兄弟そろって区間賞を獲得
牟田颯太選手と凜太選手は、森山中学校時代から駅伝で存在感を示していました。
2020年の長崎県中学校駅伝競走大会では、森山中学校が2年連続優勝を達成しています。
兄の颯太選手は1区の4kmを12分17秒で走って区間賞を獲得し、弟の凜太選手も6区のアンカーを務め、12分21秒で区間賞を獲得しました。
兄弟がそれぞれの区間で結果を残し、チームの優勝に貢献したことが、中学時代の大きな実績です。
さらに、2021年の全国中学校駅伝大会でも、颯太選手が1区、凜太選手が2区を担当しました。
兄弟が序盤の区間を任されるほど、チームから信頼されていたことがうかがえます。
個人のトラック競技でも、2人は高い走力を示していました。
中学3年時の3000mでは、颯太選手が8分41秒、凜太選手が8分33秒を記録したとされています。
中学生として優れたタイムを持つ2人は、長崎県内だけでなく、全国の舞台を意識できる選手へと成長していきました。
少林寺拳法でも兄弟そろって黒帯を取得
牟田兄弟は陸上競技だけでなく、少林寺拳法にも取り組んでいました。
小学3年生ごろから陸上と並行して少林寺拳法を習い始め、中学1年生のときには兄弟そろって黒帯を取得したとされています。
少林寺拳法では、技を身につけるための反復練習や、体のバランスを保つことが求められます。
陸上競技とは異なる運動を経験したことは、さまざまな身体の使い方を学ぶ機会になったと考えられます。
幼いころから複数の活動に取り組み、兄弟そろって努力を続けてきたことは、牟田兄弟の歩みを知るうえで興味深いポイントです。
牟田颯太の高校は鎮西学院!3000m障害で活躍
牟田颯太選手の出身高校は、長崎県の鎮西学院高校です。
弟の凜太選手とともに陸上競技部で練習を重ね、長崎県高校駅伝や全国大会で活躍しました。
特に颯太選手は3000m障害で頭角を現し、高校3年時には長崎県高校記録を更新する走りを見せています。
弟の活躍をきっかけに3000m障害へ挑戦
鎮西学院高校に進学した牟田颯太選手は、弟の凜太選手が早い段階から好記録を出す姿を見て、自分の競技について悩む時期がありました。
凜太選手は高校1年時から3000mや5000mで好成績を残し、長距離選手として注目を集めていました。
そんな颯太選手が新たな可能性を見いだした種目が、3000m障害です。
高校1年時に監督の入江初舟氏から勧められたことをきっかけに挑戦を始めました。
3000m障害は、トラックを走りながら複数の障害物や水濠を越える種目で、スピードだけでなくスタミナや状況に対応する力も求められます。
3000m障害への挑戦は、颯太選手が自身の強みを見つける転機になりました。
高校には専門的な練習環境が十分に整っていなかったため、長距離選手と同じ練習で体力を養いながら、レース経験を積んでいったとされています。
インターハイの挫折を乗り越えて長崎県高校記録を更新
颯太選手は高校2年時のインターハイで、3000m障害の予選中に転倒事故に巻き込まれました。
前を走る選手が障害に接触して転倒し、その影響で颯太選手も体勢を崩して転倒。
負傷によって再レースを走ることができず、悔しい結果に終わりました。
大きなショックを受けた颯太選手は、帰宅後も部屋に閉じこもるほど落ち込んだとされています。
そんな兄を支えたのが、弟の凜太選手でした。
一緒にジョギングへ行こうと声をかけるなど、少しずつ練習に戻れるように寄り添ったそうです。
挫折を経験した颯太選手は、翌年の2024年に大きな結果を残しました。
北部九州インターハイ予選の3000m障害で8分54秒17を記録して優勝し、31年ぶりに長崎県高校記録を更新。
全国高校総体の決勝でも8位に入賞し、U20日本選手権でも6位に入りました。
苦しい経験を乗り越えて結果につなげた背景には、本人の努力に加え、弟や周囲の支えもあったと考えられます。
高校時代の経験は、颯太選手にとって競技面だけでなく、精神面でも大きな成長につながったのではないでしょうか。
鎮西学院の高校駅伝で兄弟そろって区間賞
牟田兄弟はトラック競技だけでなく、駅伝でも鎮西学院高校の中心選手として活躍しました。
2024年11月の長崎県高校駅伝では、鎮西学院が2時間9分25秒で優勝し、2連覇を達成しています。
颯太選手は最長区間の1区10kmを30分41秒で走り、区間賞を獲得しました。
弟の凜太選手も4区8.1kmを担当し、区間賞を獲得しました。
それぞれの得意分野を生かしながら、チームの目標に向かって走り続けてきました。
さらに、颯太選手は全九州高校駅伝でも1区を走り、30分06秒で区間3位に入りました。
2024年12月の全国高校駅伝、いわゆる都大路ではエース区間の1区を担当し、全国の強豪校を相手に経験を積んでいます。
牟田颯太は駒澤大学へ!大学での成績や自己ベストは?
牟田颯太選手は2025年春、弟の凜太選手とともに駒澤大学へ進学しました。
高校時代から注目されていた2人は、大学でもそれぞれの得意種目を伸ばしながら、トラック競技やロードレースに取り組んでいます。
藤田敦史監督の熱意が駒澤大学進学の決め手
牟田颯太選手と凜太選手が駒澤大学への進学を決めた背景には、陸上競技部の藤田敦史監督の存在がありました。
藤田監督は長崎まで何度も足を運び、兄弟の走りや練習を見ながら、大学で成長する可能性を伝えていたとされています。
特に凜太選手は、遠方から何度も訪れてくれた藤田監督の熱意に心を動かされたと語っています。
一方、颯太選手も、3000m障害だけでなく駅伝や他のトラック種目でも力を伸ばしたいと考え、駒澤大学への進学を決めました。
兄弟が同じ大学を選んだことは、競技面での成長と、互いに高め合える環境の両方につながっています。
高校時代には得意種目が異なっていた2人ですが、大学ではそれぞれの持ち味を生かしながら、チームの戦力として成長することが期待されています。
また、兄弟は高校卒業時に、大学でともに成長し、将来は駅伝で兄弟のタスキリレーを実現したいという目標を語っていました。
駒澤大学で4年間を過ごす中で、どのような記録を残し、どこまで成長するのか注目が集まります。
3000m障害や10000mで着実に成長
颯太選手は駒澤大学入学後、3000m障害を中心にトラック競技で経験を積みました。
2025年5月の関東インカレ男子2部では、3000m障害の予選を8分58秒25で通過し、決勝では8分57秒25を記録して5位に入賞しています。
大学1年時から全国レベルの大会で結果を残したことは、今後に向けた大きな一歩です。
その後は長距離種目でも記録を伸ばしてきました。
2025年5月の日体大記録会では5000mで14分03秒22を記録し、同年11月の世田谷246ハーフマラソンでは1時間03分31秒をマークしています。
2026年10月17日には、10000mで28分40秒72の自己ベストを記録しました。
3000m障害で培った持久力に加え、長距離種目でも着実に成長していることがうかがえます。
障害種目だけにとどまらず、ロードや駅伝に向けた力を伸ばしている点にも注目です。
弟の凜太選手も大学で記録を伸ばしており、2026年には5000mで13分49秒16、10000mで28分22秒98を記録したとされています。
兄弟それぞれが異なる強みを持ちながら、同じチームで競技力を高めていることが、今後の駅伝でどのように生かされるのか楽しみですね。
牟田颯太と凜太の兄弟愛がすごい!挫折を支え合った過去
牟田颯太選手と凜太選手が注目される理由は、競技成績だけではありません。
高校時代には、兄が大きな挫折を経験した際に弟が支え、今度は弟が不調に陥ったときに兄の活躍が励みになるという、互いに支え合う経験を重ねてきました。
弟の凜太が兄の挫折を支えた高校時代
颯太選手にとって大きな挫折となったのが、高校2年時のインターハイ3000m障害での転倒事故です。
予選で前を走る選手が障害に接触して転倒し、その影響で颯太選手も転倒。
負傷によってレースを続けられず、目標としていた大会で悔しい思いをしました。
事故後の颯太選手は深く落ち込み、周囲と話すことも少なくなったとされています。
そんな兄の様子を近くで見ていた凜太選手は、無理に結果を求めるのではなく、一緒にジョギングへ行こうと声をかけ、練習に戻るきっかけをつくりました。
凜太選手の支えは、颯太選手が競技に復帰するうえで大きな助けになったと考えられます。
同じ環境で練習し、兄の苦しみを身近で理解できる存在だったからこそ、寄り添うことができたのでしょう。
凜太選手は、双子のどちらかがうまくいかないときには、もう一方が支えるという考えを大切にしてきたと語っています。
兄弟であり、ライバルでもある2人が、相手の苦しい時期に手を差し伸べてきたことは、牟田兄弟の大きな魅力です。
今度は兄が弟の不調を支えて復活を後押し
高校3年時には、今度は凜太選手が不調に苦しむ時期を迎えました。
貧血の影響で練習についていけなくなり、大会でも思うような結果を残せない時期があったとされています。
高校1年時から好記録を出してきた凜太選手にとって、苦しい状況だったことがうかがえます。
そんな時期に存在感を示したのが、兄の颯太選手でした。
2024年の北部九州インターハイ予選で3000m障害の長崎県高校記録を更新し、全国高校総体でも8位に入賞しています。
努力を重ねて結果を出す兄の姿は、凜太選手にとっても前を向くきっかけになったと考えられます。
兄弟は、どちらか一方だけが順調なときも、相手を置き去りにせず支え合ってきました。
颯太選手が落ち込んだときには凜太選手が励まし、凜太選手が苦しいときには颯太選手が競技で結果を示す。
立場が入れ替わりながらも互いに刺激を与え合う関係が続いています。
高校最後の駅伝シーズンでは、兄弟そろって長崎県高校駅伝の区間賞を獲得しました。
個人の記録を競い合うだけでなく、相手の成長を喜び、自分自身の努力にもつなげてきたことが、大学進学後の活躍への期待を高めています。
箱根駅伝で兄弟のタスキリレーは実現する?
牟田兄弟が大学で掲げている大きな目標の一つが、箱根駅伝で兄弟によるタスキリレーを実現することです。
高校卒業時には、2人で成長し、箱根駅伝で兄弟のタスキリレーを目指したいという思いを語っていました。
大学で同じチームに所属しているからこそ、実現を期待するファンもいるでしょう。
颯太選手は、3000m障害やクロスカントリーで培った過酷なコースへの適性を生かし、箱根駅伝の5区に関心を示しています。
5区は山上りを担う区間で、持久力に加えて、標高差のあるコースを走り切る力が求められます。
兄弟が希望する区間で走り、タスキをつなぐ姿は、2人にとっても大きな目標です。
中学・高校時代から支え合ってきた牟田兄弟が、駒澤大学でどこまで成長するのか。
そして箱根駅伝で夢のタスキリレーが実現するのか、今後の活躍に期待したいですね。
まとめ|牟田颯太は双子の弟と駒澤大学で成長中
当記事では、牟田颯太選手の双子の弟や、中学・高校時代の経歴、駒澤大学での活躍について紹介しました。
牟田颯太選手は2006年7月4日生まれで、弟の凜太選手とともに長崎県諫早市立森山中学校、鎮西学院高校を経て、駒澤大学へ進学しています。
中学時代には兄弟そろって駅伝の区間賞を獲得し、高校時代には颯太選手が3000m障害で長崎県高校記録を更新しました。
また、鎮西学院高校の駅伝でも兄弟それぞれが区間賞を獲得し、チームの優勝に貢献しています。
大学では、颯太選手が3000m障害や10000mで成長を続け、凜太選手も5000mや10000mで好記録を残しています。
得意分野は異なりますが、互いに刺激を受けながら競技力を高めている点が、牟田兄弟の魅力です。
そして、2人には箱根駅伝で兄弟のタスキリレーを実現したいという目標があります。
実現するかどうかは今後の成績やチーム内の選考次第ですが、中学・高校時代から支え合ってきた兄弟が大学駅伝で活躍する姿は楽しみですね。
牟田颯太選手と凜太選手の今後の成長に注目していきましょう。


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